ワードは、なぜこれほどまでに使い勝手が悪いのか・・・
時は先週に遡る。少々重い分量の書類を書き上げる必要に迫られたのだ。
言うまでもなく、書類にとって一番大切なことは如何に判りやすく伝えるべき内容を平易に記述するか、につきる。多少なりとも公的な性格を帯びている書類の場合、それに加えて文書の外形、つまりフォーマットを厳密に守ることが求められる。
書いているのは、やや公的な書類である。したがってフォーマットが決められている。フォーマットがあるということは楽なのだが、まったく面白みのかけらも無い。事ドキュメント作製の過程において多少なりとも独創性を発揮できる場が欲しいものだ。
問題は、「独創性」に関するような高級なことではない。単にワードの操作性の悪さについて一言申し上げたいのだ。
書きはじめるにあたって、すぐに頭に浮かんだのは、「どうやってTeXで書こうか・・・」と言う、かなり漠然とした思いであった。TeXとは組み版システムである。通常、味も素っ気もない単純なエディタでテキストを打ちこむ。呪文の如きTeXコマンドをテキストにちりばめる。テキストをTeXシステムで処理して初めて整形された文書ができあがる。その手続きは、あたかもプログラムのソースコードをコンパイルして実行可能なアプリケーションを生成するかの如きイメージだ。
対してワードなどのワープロソフトにおいては、キーボードからテキストを入力しているときに表示される画面上での書類の外形と、それを印刷したときの書類の外形が(ほぼ)同じであるのが一般的だ。
このような「WYSING 」環境は、たとえば1枚きりのビラの作製とか、ちょっとした手紙を書く場合には、たしかに便利ではある。しかし文書の形態が複雑になってきたり、文章量そのものが膨大になってくると話しは別だ。私にとっては、使えない、使っていられないソフト、の一つに成り下がる。使ってもストレスが溜まるばかりで精神衛生上すこぶるよろしくない。
しかし今回は何時もと状況が異なる。
TeXを使いたいのは山々なのだが仕事で使っているワークステーションのシステムを新しくしたため、TeXやグラフィックス関連の環境整備が完了していないのである。そのようなわけで、マイクロソフト・ワードと付き合うはめに陥ってしまったのだ。
十数ページのファイル。あらかじめ項目毎に枠(セル)が割り当てられていて、対応する情報をそれぞれのセルに書き込んでいくだけ。簡単、簡単・・・、とんでもない、大間違いでした。
テキストを入力中であるにもかかわらず、指定されたフォントで画面に表示しようとシステムが頑張ってしまい、極端にレスポンスが悪くなる。入力している最中にもかかわらず、余計な行間調整をしていて、画面の中で行がぴょこぴょこ動く。。。
欄からはみ出るとき、勝手に枠線を移動する。
止まれ、止まれ! たのむから動くなっ、動かないでくれーっ!
願いはむなしく、もちろん勝手に枠線が動く・・・。どうしても移動するので、その欄線を選択して強制的にマウスで移動させる。移動中、画面がガキガキ揺れている・・・。なぜ、そこまでWYSINGにこだわるのか。
しょうがないので画面表示モードを変えてみる・・・これは使えない。意味がない。ただのテキストエディタで書いていたほうがよっぽどましだ・・・。
次のページを「勝手に作る」。何時、新しくページを作れ」と頼んだのか。
作業をしていて、いきなりビョンと画面が先頭ページに飛ぶ。
なぜ飛ぶ・・・。その必要性がどこにある?枠線を修正したからか? さっきまで編集していた所はどうなったのでしょうか。
「1)」と入力し文章を打ち込む。改行をすると自動で次の行に「2)」の項目が出てくる。いつ、誰が「そうしてください」と頼んだのでしょうか。
メニューもちんぷんかんぷん。メニューの階層構造もぐちゃぐちゃ。英語版の「メニュー」の「意味の通る和訳」に失敗している・・・と思う。
直感的な操作も難しい。「やりたいことを、なんで、そこのメニューに隠す必要があるのか・・・」と、何度思ったことか。
特にシステム間の互換性が不十分。システム間でやりとりしたファイルの、セルや行数が変わってしまうのはなぜだ。フォントの埋め込みもできないのか?
ワードの操作性の悪さに振り回されてしまい、とんでもなく消耗した数日間を過ごしてしまった。付け加えると、エクセルのマクロにも一言、いちゃもんをつけたい・・・が、いつか機会を見て。
当然だが、こんな悪口を書いても、マイクロソフトにとっては痛くもかゆくもないだろう。第一、ワードやエクセルといったデファクトスタンダードなビジネスソフトを、今後とも、世の大多数のユーザーが必要とするのは明らかだ。
しかし、もうちょっと、エレガントなユーザーインターフェイスがほしい所である・・・
なんとか書類を仕上げたとき、心底、そのように願ったのであった。