岩手・宮城などの北東北の領域を大きな地震が襲い、各地に甚大な被害をもたらした。不幸にして被害に遭われた方々のことを思うと心が痛む。一刻も早い、大規模な救援策が切望されていることは言を俟たない。ここで考えてみたいのはそのような明々白々たることではなく、地震を科学の対象として見た場合の、有る意味とても素朴な疑問についてである。すなわち一体全体、地震の「予知」は本当に可能なのか、ということである。
結論から言って、この疑問に答えることは相当に難しい。
まず「時間スケール」が問題となる。相手は数十年、数百年、あるいは数千年の時間スケールで進行している地球規模の自然事象である。歴史上の記録を紐解くとき、この時間スケールの範囲であれば、かなりの確度で地震の発生を予測することはできる。しかし「明日のこの時間、地震が起きますよ」などと日時を正確に指定して「予知」することは不可能である。
次に「発生場所」が問題となる。どこで地震が起こるのか、ピンポイントで場所を指定して予知することも難しい。なにしろ根本の原因は地下の断層にある。我々の、地下深部についての知識は、所詮、非常に限られたものでしかない。隈無くあちこちを掘って調べているわけではない。多くは肉眼による視察や航空写真、広くは衛星写真などの、主に外形を見比べての判断でしかない。
極端に単純化して、今にも崩壊そうな断層、つまり臨界の状態にある断層が幾つか見つかったとする。しかし、それらが何時どの順番で、どれくらいの規模で崩壊ていくのか、はたして正確に予測ができうるものだろうか。
Bakによると、地震の規模と頻度は、ある種、自己組織化臨界状態(SOC)にあるとされる。これは元々、種が、突然、爆発的に進化することを説明するために提唱された物理学上の基礎概念である。子どもが砂場で遊んでいるとしよう。いくつもの急峻な砂山を作る。上からぱらぱらと砂を振りかける。このとき、どの砂山から(場所)、何時(時間)、どれくらいの規模で崩れ始めるのか、予測することはできない。しかし崩れていく規模と頻度をグラフにすると、ある法則性を示すのがわかる。つまり大規模な崩れほど発生頻度が低く、小規模なものほど頻繁に発生している。次の瞬間、どの砂山が崩れるのか言い当てることはできないが、長い時間スケールで見たときに、どれくらいの崩れがどれくらいの頻度で発生するのか、ある確度の予測を立てることはできる。誤解を恐れずに非常におおざっぱに言ってしまえば「しばらく大きな崩れが起きていないから、そろそろ・・・」といった、我々が自然災害などに対して抱いている感覚を統計力学的に定義したものと思っても良い。
今日現在、我々は、地下深部の断層の状態についての詳細なデータを持ち合わせていない。元となるデータが不完全な以上、信頼できうる完璧な数値モデルを立てて厳密な予測に資することは不可能である。大気の状態についての時々刻々の情報を元にした天気予報ですら、局所的に外れることも多いことは、我々が常日頃、肌身で感じているところである。見えない地下深部の状態を相手にする地震の予知が、非常に困難であることは、有る意味、当然のことなのである。
しかし原理的に不可能とばかり主張して、初めからあきらめる訳にもいかない。
超音波エコーという医療の診断方法がある。人体の外から超音波をあてて、おなかの様子などを画像として捕らえる。音波は媒質によって、つまりここでは体液の濃度、脂肪やタンパク質、あるいは骨、などの種類によって、その速度を変える。お腹の中での音波の伝わり方やその干渉を解析し、それを画像に変換することで、お腹の中の様子を「見る」ことができる。お母さんのお腹の中の赤ちゃんを超音波で捕らえた白黒の画像を見たことがある人も多いはずだ。
素人の思いつきだが、日本中に網の目のように地震センサーを張り巡らしたとする。大規模な地震が発生すると共に、各センサー間での地震の伝わり方を解析すれば、あたかも超音波エコー診断の様に、地中の「診断」が可能になるのではないのか。もちろん、地震と共にセンサー自体が移動する可能性も考慮してGPS機能を埋め込む必要はある。
関連リンク
・最も大切なもの、それは情報・・・
・バージェスモンスター
2008年6月17日火曜日
2008年6月14日土曜日
2008年6月4日水曜日
格言あれこれ
『実るほど頭の下がる稲穂かな』
学識や徳行が深まると、その人柄や態度が謙虚になることにたとえる。
��広辞苑より)
『実が付かず頭をそらす青い稲』
学識や徳行が浅いにもかかわらず、甚く傲慢にふるまうことをたとえる。
��私家版コウジエン)
『能ある鷹は爪を隠す』
本当に実力のあるものは、やたらにそれを現さないものだというたとえ。
��広辞苑より)
『能無し鷹は爪を出す』
実力がないものほど、やたらに実力が有るかのようにふるまうたとえ。
��私家版コウジエン)
学識や徳行が深まると、その人柄や態度が謙虚になることにたとえる。
��広辞苑より)
『実が付かず頭をそらす青い稲』
学識や徳行が浅いにもかかわらず、甚く傲慢にふるまうことをたとえる。
��私家版コウジエン)
『能ある鷹は爪を隠す』
本当に実力のあるものは、やたらにそれを現さないものだというたとえ。
��広辞苑より)
『能無し鷹は爪を出す』
実力がないものほど、やたらに実力が有るかのようにふるまうたとえ。
��私家版コウジエン)
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