2008年5月29日木曜日

最近読んでいる本

「だまされない<議論力>」 吉岡友治 氏



とても面白い。議論とは「ある取り決めの下で為される知的ゲームである」との観点から、世に蔓延る数々の不毛な議論を一刀両断に解体してみせてくれる。

互いの論理をぶつけ合い磨きをかける知的共同作業が「問題解決のための議論」であるという、しばしば見過ごされがちな、その本来の目的を正面に見据えている点において、真に胸のすく思いである。論理に走りすぎているきらいが無くもないが、たとえ少々の「諄さ」が目に付いたとしても、その目的を考えれば至極当然である。蓋し良書。



「マーク・ピーターセンの英語のツボ」 マーク・ピーターセン 氏



ふとした英語の表現を通じて、彼の地の文化や考え方に触れることができるお得な内容。見開きで一つの話題を扱っているので、隙間時間を利用しての「つまみ読み」にもってこいの一冊である。実は、この一週間で読み進むことができたのは最初の数ページのみなのですが。まぁ、楽しみながら読んでいます。



2008年5月27日火曜日

5月23日付の「編集手帳」(読売新聞)について

��月23日付の「編集手帳」は、博物学者の南方熊楠の中学生の頃のエピソードから始まる。



南方は胃の内容物を自由に口内に戻すことができたらしい。それでついたあだ名が「反芻」。常人とは少し違う特技にオヤッと思い、興味を引きつけられたのだが、その後、どこに話しを持っていくのかと続きを読むと、記事の中程で、熊本市の病院での有毒ガス事故の話題に転じた。

農薬を飲んで自殺をはかり、病院に運び込まれた男性の嘔吐物から、刺激臭を伴う有毒ガスが発生し、医師や看護師など多くの人員がそれに巻き込まれた、あの事故である。その特異性から大きな話題となり、TVのニュース番組でも繰り返し報道された。



「編集手帳」の最後で、「反芻」のもう一つの意味、すなわち「繰り返して味わい、よく考える」ことが引き合いに出され、「備えはどうあるべきか−−救急施設の運営に携わ る人には、今回の事例も「反芻」の対象だろう」と結んでいる。



私の正直な感想は、「これを書いた記者は、よほど忙しかったのだろう」と言うことである。



第一、論理の展開に無理がある。前半は汚いがほほえましい(?)エピソードを扱っているのに対し、後半の内容は、それとは対極にある事故についての記事で ある。強いて言えば「嘔吐」という生理現象を記述する単語が両者を結びつけるキーワードなのであるが、だからといって、その論理の展開に必然性をもたらす ものではない。第二に、結びの文は至極当たり前の事を言っていて、いささか陳腐である。



編集手帳は読売新聞の看板コラムである。担当したのは社でも指折りの文筆家と思われる。したがって私は、これを書いた記者は、たまたま、よほど忙しく、その内容について吟味する余裕が無かったのだろう、と、多少の同情を覚えたのである。

2008年5月15日木曜日

博多へ

ナノ学会に出席するため、仙台発の飛行機を伊丹で乗り継ぎ博多まで飛ぶ。



c8227758jpegガウシアンにも組み込まれたONIOM法で有名な諸熊博士の基調講演は、DFTB法による炭素系の分子動力学シミュレーション(MD)についてであった。



基本的に強結合近似(TB法)に基づくので、いわゆる第一原理的な電子構造計算に比べ、その計算コストが格段に軽いことが強調された。炭素系における共役な結合も記述可能な柔軟さを併せ持つことなどから、より大規模な、電子構造を考慮したMD計算に適したアルゴリズムであることが指摘された。



後半はDFTBをナノチューブやC60に適用した例が示された。それらの成長過程をDFTBでシミュレートした結果がスナップショットで提示されたが、その計算自体、かなりの労力と忍耐を必要とされるものと見受 けられた。この規模と品質の計算結果を得るためには、事前の綿密な計算計画が必要とされる。しかし一方で、たとえ最新のスーパーコンピュータの能力をフルに利用できる 環境にあったとしても、同等な結論を得るまでには、かなり長時間にわたってCPUのリソースを占有する必要があったことであろう。氏は70代前半と思われるが、そのお歳を感じさせない、非常にエネルギッ シュな講演であった。



なにはともあれ無事に発表を終える。その後、市内の見物をはじめ、太宰府へのお参りも果たすことができた。



17f095ffjpeg帰りの飛行機での出来事である。席につくと隣は20代の男性である。その身なりは、スニーカー、チノパンツ、黒の大きなバック、銀縁めがね・・・と、なにかしら「なかま」の如き匂いをプンプンさせていた。



「学会関係者か?」。



離陸後は窓の外を眺め、何するとも無しにぼーっととして過ごしていた。しばらくしてベルト着用のサインが消える。なにやらごそごそと隣が騒がしくなってきた。足下にあるご自分のバッグからノートPCを取り出すようだ。「はは~ん、研究のデータ整理をするのだろうな・・・」。スイッチを入れたようだ。



キャビンアテンダントが注文を聞いてきた。眠気覚ましにコーヒーを注文する。ポットから注がれたコーヒーを受け取り、ミルクと砂糖を御願いする・・・隣席にあるノートPCのディスプレイの様子がチラリと目に入る。



このとき心底驚いたのである。



そこには大きなお目々をしたセーラー服のお嬢さんの、かわいらしいアニメが上演されていたのだ。氏は顎に片手を添え、とても真剣にフムフムと頷きつつ鑑賞している。ヲタクさんだったようだ・・・



* * *




しかし考えてみれば、私自身、 ベクトルは多少異なるが同じようなヲタクであることには違いない。





最近の報道(Nature)によると、ネアンデルタールと人類の直系の祖先は同じ時代を共存して過ごしていたらしい。ネアンデルタール人は、その意味で、人類の祖先から分岐した種というよりも、むしろ我々の遺伝子の一部を成す直系の先祖の一つと見なすべきであろう。



ヲタク文化について、その蘊蓄を傾けることはできないのであるが、もしかしたら隣席の氏は一般的な人類と平和的に共存している現代のネアンデルタール人とも言えるかもしれない。私自身、立派なネアンデルタール人的ヲタク種族の一人である。ヲタク=プロフェッショナルと肯定的にとらえるとするならば、多くのヲタク種族にとって、ヲタクと見なされることはむしろ栄誉となるのであろう。



ヲタクと一般的人類、お互いに平和的に共存したいものですネ ;-)





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