スイスのジュネーブ郊外にある欧州原子核研究センター(CERN)では、今夏、巨大粒子加速器LHC( Large Hadron Collider)を用いた陽子の衝突実験がはじまる。
LHCは14年の歳月と80億ドルの巨費を投じて建設されたCERNが誇る超大型の衝突型加速器である。LHCの中では陽子と陽子がとてつもなく大きなエネルギー(TeV、テラ・エレクトロンボルト)で衝突する。それによって、宇宙の始まりの大爆発(BigBang)直後の状況を擬似的に作り出し、未だ神秘のベールに包まれている物質や質量の起源、対称性の起源に光を当てることを狙っている。BigBangなどと書くと誤解を招きそうだが、宇宙開闢のそれとは全くスケールが異なり、あくまで擬似的な実験である。
この実験で超弦理論の予測が初めて実証される可能性が取りざたされている。その意味で弦理論支持者からの期待を一身に背負った世紀の大実験であるとも言える。超弦理論とLHCについては2007年9月の
WiredVisionの記事を参照してほしい。
このLHCの実験に対し
2人の民間人が異議を唱えた。彼らの動機は誠に純粋である。そう、世界を救うために・・・。
The New York TimesのDennis Overbye氏の記事によると、発端はWalter L. Wagner氏とLuis Sancho氏が、実験に伴って小さなブラックホールができる可能性をCERNが過小評価しているのではないのか、との疑いを抱いたことにあるようだ。
記事には、サイエンスと地球消滅、そして裁判・・・などの刺激的なキーワードがちりばめられている。以下、Overbye氏の記事を元に事の次第を見てみよう。いつものように私情、感想、想像を交えており、
元記事の内容を正確に伝えることを意図してはいないことを予めお断りしておく。
彼らの主張は、"
LHCはブラックホールを造り出す可能性があり、それは地球ばかりか、この世の全てを飲み込んでしまうかもしれない"ということである。彼らは実験の中止を求める訴えを
ハワイの裁判所に提起した。危機にある地球を救うために。
今後ハワイの裁判所がCERNに証言を要請をしたとしても、CERNとして公式に法廷に出向く可能性は低い。もともとCERNはヨーロッパにある国際的研究施設である。つまり米国の司法権が及ぶ施設ではないので、わざわざCERNの代表が米国の裁判所で弁論を行う義務は無いのだ。
どうやらWagner氏とSancho氏は、裁判所の実験停止命令によって、超伝導磁石などの米国製の実験資材のCERNへの納品差し止めを実現し、事実上の実験中止に追い込むことを目論んでいるようだ。少なくてもL
HCが確実に安全であるとの確認がなされるまでは。
もちろんCERNでもLHCの安全性について詳細に調査をしている。これまでに少なくても2度、報告書が提出され、つい最近も安全性についてのオープンな会議が開催された。しかし今のところ、当然というべきかWagner氏の懸念を支持するような報告はなされていない。
Wagner氏とSancho氏の訴えは、巨大化する科学技術についての、ある根源的な問題を我々に突きつけている。すなわち、未だかつて人類がなし得たことのない全く新しい種類の超大規模な実験のリスクをどう評価するのか、その上で、誰がその実験遂行の可否を判断するのか、である。
実はWagner氏、この種の裁判はこれが初めてではない。1999年と2000年にもNYのBrookhavenにある加速器(Relativistic Heavy Ion Collider)の実験中止を求めて同様な裁判を起こしている。訴えは2001年に却下された。Brookhavenの加速器は2000年来、事故もなく運転を続けている。
Wagner氏はハワイに在住で、カリフォルニア大学バークレーで物理学を修めている。専門は宇宙線の研究であった。その後サクラメントの北カリフォルニア大学(現在)にうつり、そこで
法学の博士号を取得している。修了後は軍関係の施設で放射線保安管理官として働いていたようだ。Sancho氏は、Wagner氏によると、スペインのバルセロナに在住する時間理論の研究者であるとのことである。
参考