��月23日付の「編集手帳」は、博物学者の南方熊楠の中学生の頃のエピソードから始まる。
南方は胃の内容物を自由に口内に戻すことができたらしい。それでついたあだ名が「反芻」。常人とは少し違う特技にオヤッと思い、興味を引きつけられたのだが、その後、どこに話しを持っていくのかと続きを読むと、記事の中程で、熊本市の病院での有毒ガス事故の話題に転じた。
農薬を飲んで自殺をはかり、病院に運び込まれた男性の嘔吐物から、刺激臭を伴う有毒ガスが発生し、医師や看護師など多くの人員がそれに巻き込まれた、あの事故である。その特異性から大きな話題となり、TVのニュース番組でも繰り返し報道された。
「編集手帳」の最後で、「反芻」のもう一つの意味、すなわち「繰り返して味わい、よく考える」ことが引き合いに出され、「備えはどうあるべきか−−救急施設の運営に携わ る人には、今回の事例も「反芻」の対象だろう」と結んでいる。
私の正直な感想は、「これを書いた記者は、よほど忙しかったのだろう」と言うことである。
第一、論理の展開に無理がある。前半は汚いがほほえましい(?)エピソードを扱っているのに対し、後半の内容は、それとは対極にある事故についての記事で ある。強いて言えば「嘔吐」という生理現象を記述する単語が両者を結びつけるキーワードなのであるが、だからといって、その論理の展開に必然性をもたらす ものではない。第二に、結びの文は至極当たり前の事を言っていて、いささか陳腐である。
編集手帳は読売新聞の看板コラムである。担当したのは社でも指折りの文筆家と思われる。したがって私は、これを書いた記者は、たまたま、よほど忙しく、その内容について吟味する余裕が無かったのだろう、と、多少の同情を覚えたのである。
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